緑黄色野菜一杯のサラダボウル
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「Salad Bowl(サラダボウル)」って何?

最近面白いと思った表現が「salad bowl(サラダボウル)」。前提知識無しで何のことか分かった人は、多分超能力の持ち主だと思う(笑) どんな名探偵でも推測不可能。

実はこれ、驚くべきことに「人種のるつぼ(melting pot)」的に使われるんですよ。

でも、わざわざ別の語彙を使うってことは、そこには微妙な違いがあるってこと。それでは、melting potとの差は一体何なんでしょう?

高熱のるつぼで金属を溶かす
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Salad Bowl vs. Melting Pot

るつぼ(melting pot)」と言ってしまうと、いろんな人種・文化が混ざり合い、最終的に一つに融合する感じじゃないですか。るつぼだけに、高温で熱されてドロドロに溶けて混じり合い、最終的には全体が同質な高温液体となる。その一方、サラダボウル(salad bowl)だと、融合せずに一つ一つの食材(人種・文化・芸術等)が独立して生きていて、全体としては調和してるイメージ。まさに上記イラストのサラダボウルみたいなんですよね。

Wikipediaの説明を借りると:

Salad bowl (cultural idea)

サラダボウルのモデルでは、異なるアメリカの文化が寄せ集められているーサラダの材料のようにーしかし、単独の均一化した文化を形成はしない。それぞれの文化は独自の特質した属性を保持する。

In the salad bowl model, different American cultures are brought together — like salad ingredients — but do not form together into a single homogeneous culture. Each culture keeps its own distinct qualities.

だから、アメリカはいろんな人種がいる社会と言っても、一概にmelting potとは言えないわけですね。そこには、レタス、トマト、玉子やクルトンがあるかもしれない。そして、もちろん最後には美味しいドレッシング。

このsalad bowl、最近のニュースの記事にだって出てきてます:

Asian Americans are Hollywood’s new leading men. It’s not as progressive as you think

るつぼという概念はサラダボウルに進化する:均一に混じり合うというより、分離した存在による調和した組み合わせだ

As the notion of a melting pot evolves into that of a salad bowl: a harmonious combination of separate entities instead of one homogeneous blend

それじゃあ、日本社会はどんなサラダなんでしょうかね? 外国人視点だとまた別でしょうが、homogeneousness(一つの人種からなる)が半端ないので、キャベツの千切りあたりかな(笑) それでは〜

キャベツの千切りサラダ
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