実は言語を勉強することはその文化を勉強することでもあるわけですが、その文化圏で長らく遊ばれているゲーム用語なんかは、当然語彙にも入ってきているわけですよね。

例えば、日本語で「王手」と言ったら将棋用語ですが、一般的に比喩で「勝利まであと一歩」として使われたりしますし、欧米での将棋ことチェスでも、checkmateで相手を負かすことを指したりもします。もちろん、チェスでのチェックメイトは相手のキングを詰ました状態ですよね。

この将棋とチェスは、元々インドのチャトランガから派生したこともあって、ルール的にかなり似ているんですが、実は一つ大きな違いがあるんです。それが今回のお題のstalemate(ステイルメイト)というルール。

将棋では、相手の王の行き場所がなくなったら相手の負けになります。相手の手番で王が移動したらこっちの駒に取られてしまう状態ですね。四方八方周囲を囲まれている場合なんかがそう。まあ、将棋では持ち駒が使えるので、この状態になることは極めてまれですが、周りを囲まれているんだから負けになるのは直感的にも正しい気がします。

しかし、チェスではこれが引き分けになるというのです(笑) それがStalemateと呼ばれる状態。チェスでは持ち駒が使えませんから、最終盤は盤上にキング一人だけになることもしばしば。しかし、絶体絶命のピンチでも、キングの行き場がなくなってしまうと自動的に引き分け。半直感的なので、初心者はみんなこのStalemateのルールに混乱するそうです。

ただし、戦力差的に絶体絶命でも、最後にキングをうまく移動して自らこのStalemateの状態にして引き分けを狙う戦略もあったりして、長年やっているプレイヤー達はこのStalemateがチェスを面白くしていると見ている向きもあります。

木製のチェスボード

ところで、本題に入る前に、もう一つチェスの特徴を述べさせてください。それが、引き分け(draw)が多いです(笑) はい、実はチェスって引き分けだらけなんですよ。コンピュータ同士だと9割以上が引き分けだし、人間のトッププレーヤー同士でも半分が引き分け(この統計は持ち時間に依存します)。

これがなぜかと言えば、上で少し述べたように、最終盤になると盤上から駒がなくなっていき、しかも将棋と違い持ち駒が使えないので、戦力不足になりがちなんですね。そこで、両者とも相手のキングをcheckmateできない状態に陥るのです。(でも安心してください、初心者同士ではほとんどdrawになりませんので)

だから、チェスの観戦者からすると、「またドローかよ」と観戦の楽しみがけっこう奪われてしまうんですよね。だって、考えてみてください。数時間観戦していて、最後にドローだったら、見ている立場としてはズコーってなるでしょ?(笑)

だから、一部のチェスファンやグランドマスターはチェスのルールを少し変えたいと思っているんですね。引き分けの率を少なくする方向にしたいんです。もっとゲームをエキサイティングなものにしたい。これは、何となく分かるんじゃないかな。

でも、どうやったら引き分けの率を少なくするなんて計算できるんでしょうか? 今現在のチェスのゲームすら完全解析されていない状態ですよ。そこでGoogle DeepMindの出番となるわけです。

数年前のこと、囲碁・将棋・チェスコミュニティをあっと驚かす論文が、AIを専門とする会社DeepMindから出されました。その中で、DeepMindが開発し自己学習でトレーニングさせたAlphaZeroが、3つのゲームの当時のトップエンジンを見事打ち負かしたと発表したのです。全然別々のゲームですが、それぞれのゲームルールを与えて天文学的な自己学習をさせたら勝手に強くなっていくというのです。その手法をDeepMindは論文内で議論したのでした。

しかし最近、DeepMindは新たな論文を出してきます。それが、チェスのバリエーション(変種)に関するもの。つまり、上記で課題だったどうやって引き分けの率を少なくするルールを求めるかという問題を、AIのAlphaZeroにルールを与えて試して見たというわけですね(笑) なるほど、数時間の学習で人間以上に強くなれるのですから、AlphaZeroに色々ルールを与えて調べるのが手っ取り早いってことか。こういうAIの利用法は目からウロコじゃないでしょうか。

さて、ここまで読んできた方は予想できるかと思いますが、その変種ルールの一つが「Stalemateは負け」なのでした。

内容については詳しくは論文を読んで貰えればと思いますが、実はこの記事で議論したいのはチェスの引き分け率ではないのです。その言語学的影響です。だって、結局はこのブログは英語がテーマですからね(笑)

この記事の冒頭で述べたように、ステールメイトは既に語彙として英語に取り込まれているわけですよね。実際、stalemateは「膠着状態」として日常的に使われているのです。

例えば次の『ビッグバン★セオリー』のシーン。シェルドンとラジは変なゲームテトリス腕相撲で勝負しますが、stalemateに陥ります。ラジは腕相撲が強くて、シェルドンはテトリスが得意。つまり手詰まり・勝負付かずってことですね。

シェルドン: We might as well stop, it’s a stalemate.
『ビッグバン★セオリー』で、シェルドンとラジがテトリスと腕相撲で勝負
The Big Bang Theory [Credit: CBS]

さて、ここでこのstalemateの意味が根本的に変わってしまったらどうなるのでしょうか? 「引き分け」から「負け」になるのですよ。チェスのゲームで使われるstalemateと一般人が日常的に使うstalemateの意味に大きな乖離が起きてしまうんです(笑)

というような事を考えると、stalemate=負けルールの議論は、チェスというゲーム以上に、語彙にも影響を与えるくらい大きいものを含んでいるのかもと個人的に感じたんですね。

日本語でも「逆王手」という将棋由来の語彙がありますが、これの意味が「逆王手したほうが負け」とかなったら、絶対混乱しますからね(笑)

結局の所、stalemate=負けでも引き分け率の大幅な改善はされなかったので、そして世界中からの大勢の反対もあって、このチェスのルールが公式化されることは今現在無いとは思いますが、そんなところでも言語への影響があるというのが今回のお話でした。

最後に、このチェスの例からも分かるように、言語を学ぶ時にその文化を学ぶのも重要なんですよね。両者は密接に関連してるんです。なんとなく分かっていただけたんではと思います。それでは〜