ネトフリのエピソードリストを見ていて気づいたこと

最近ネトフリの画面を見ていて、ある気付きがありました。次の2つの海外ドラマの間にその違いがあるんですけど、何だか分かるでしょうか?

『ストレンジャー・シングス』のエピソードリスト [Credit: Netflix]
『ストレンジャー・シングス』のエピソードリスト [Credit: Netflix]
『となりのサインフェルド』のエピソードリスト [Credit: Netflix]
『となりのサインフェルド』のエピソードリスト [Credit: Netflix]

その気付きとは、各エピソードの長さが一定かどうかなんです。

『ストレンジャー・シングス』では、49,56,51,54分と50分前後にまとまっているもののバラけているのに対し、『となりのサインフェルド』では全て23分と杓子定規な一定なんですね。

これって、なかなか面白い現象と思うんですけど、どうでしょうか?

旧メディアで作品の長さが一定の理由

なぜこんなことが起こるのかですが、これは考えてみれば非常に簡単。テレビなどの旧メディアでは放送時間が厳格に決まっているのでした。だから、数十年前にテレビ放送された『となりのサインフェルド』は30分番組ゆえ、コマーシャルの時間を抜いたら23分の長さにキッチリになるよう制作されていたんですね。それに対し『ストレンジャー・シングス』のように長さ制限が全く無いオンデマンド型のストリーミングサービス用に端から作られた作品は、別に長さをキッチリ合わせる必要がないのです。ただ、10分だったり60分だったりという落差は視聴側がアジャストするのが大変なので、目安で50分程度とか設定されているんだと思います。

そういう意味では、長さバラバラの『ストレンジャー・シングス』がテレビで放送される日は無いと言えるのかもしれません。少なくとも、大幅カットしない限り。

また、これはテレビ番組に特化した話ではなく、新聞の連載小説なんかでもそうですね。毎日原稿用紙3枚ピッタシ書かされる連載小説と、制限なく自由に書ける小説の違いでもあります。

長さ制限の想像以上の厳しさ

いずれにしても、この長さ制限はクリエイターへの結構な負荷になっていることが容易に想像されますね。

例えば、YouTubeが明日から動画の長さは一律10分ピッタシしか受け付けなくなったとしたら、それは大騒動になるでしょうから。編集で短くしたり、伸ばすため同じシーンを複数回再生したり、スローにしたり、編集作業が過酷になることが想像されます。

なお広告かなんかの都合で、今現時点で多くのYouTubeクリップが長さ10分程度にまとまっている(引き伸ばししてる)現象は面白いと思います(笑)

閑話休題。話をテレビ番組に戻せば、この長さ制限のために、重要なシーンを泣く泣くカットしたり、ストーリーに関係ないシーンを別撮りしたり、カーチェイスシーンを挿入したり、今まで作り手は様々な工夫をしてきたはずなんですね。

肩を組んでテレビを見る兄弟
Image by Victoria_rt from Pixabay

TV Tropeでの説明

この事実は、テレビの各種お約束を網羅したTV Tropeにも記事がありました。Inconsistent Episode Lengthは一貫しないエピソードの長さの意味。この記事では一貫しない長さのテレビ番組について記述してありますが、導入部分に旧来のテレビ番組のエピソード長について説明がありました:

Inconsistent Episode Lengths

伝統的メディアに於いては、定期的に公開される物語は一貫した長さを持つ傾向にある — テレビ番組は22分か44分だし、マンガは32ページ、新聞の連載漫画は特定のコマ数等。最大でも、テレビ番組はスタッフロールやテーマ曲を省略することで数分稼げるくらいだ。もし、エピソードが短か過ぎるのなら、別の筋に広げられるし、もし長過ぎるのなら、短くしたり2部構成にすることもある。これは、当然のことながら、作品が公開されるメディアの制限によるものだ — 放送されたり物理的に出版されるものは、他の作品の枠には入っていけないのだ。

In traditional media, stories published on a regular basis tend to have a very consistent length — TV series are usually 22 or 44 minutes, comic books are 32 pages, newspaper comics have a certain number of panels, etc. At most, TV shows may gain an extra minute or two by shortening the credits or skipping the theme tune. If an episode is too short, it can be expanded with a B plot, too long, it’s shortened or cut into two. This is naturally due to the limitations of the media it’s published in — a series being broadcast or physically printed can’t go over into the space meant for other works.

ということで、さすがTV Trope、こちらが気付かなかったことにも言及してありますね。オープニング曲やスタッフロールの省略で尺を稼ぐってのは、日本でもよく見掛けるパターン。そこで長さを微調整していたんですね。オープニングテーマ曲は伊達にあるのではないのです(笑)

他にも「他の作品の枠」が制限になっているという考え方。確かに、テレビ番組が延長できないのは次の番組があるからでした。そして、新聞連載小説が原稿用紙50枚分一挙に発表できないのは、事件事故を報道する欄がなくなってしまうからなのですね。旧来メディアでは「他作品の枠」は侵してはいけない神聖な領域なのです。

オンデマンド型動画ストリーミングサービスの隆盛

このように考えてみれば、オンデマンド型動画ストリーミングサービスに才能あるクリエーターが集まってくるのも納得できますね。そこでは、旧メディアにあった長さの制限はなく、自分が表現したいことがなに不自由なく表現できるのです。

そして作品のファンの立場からすれば、長さ制限により泣く泣く切られた場面がないというのは相当の安心材料。大ファンであればこそ、その作品には完璧であって欲しいものなのです。

最後に

今回はふと気付いたテレビ番組の各エピソードの長さの一貫性に関するお話でした。これは別にテレビに限ったことではなく、物理的な制限があるメディアではみな同じことなのでしょうね。

ちなみに、昔読んでた少年ジャンプなんかでも、毎回各漫画のページ数が一定だったので、この法則が当てはまっていたのでしょうか。もしもですよ、クリエーターの皆さんがアイデアを制限なく自由に表現できていたら・・・あなたの大好きな作品は更にすごい事になっていたのかもしれません。そう考えると、泣く泣くカットとか本当になくなって欲しいものですね。

このブログだって、2000文字キッチリとか指定されたら絶対書かないだろうし(笑)

そういう意味では、技術の発達で物理的制限を超えられたことは人類の想像力にとって大いなる前進だったのです。旧メディアの皆さんにおかれましては大変でしょうけれど。

それでは〜


爆弾の赤か青のコードを切るシーンを泣く泣くカットした映画監督↓