英語の辞書タイトルに付く「Webster」って何?

このブログでは、以前、ボキャビル本の『Merriam-Webster’s Vocabulary Builder』をオススメしたことがありました。詳しくは、下記記事を参考にしてもらうとして・・・

つい最近、この本の題名に付く「Webster」ってのが気になりだし始めたんです。というのも、本当にいろんな辞書に「Webster」って付いて来るんですもの(笑)

Editors of Webster's New World College Dictionaries (著): Webster's New World

最初は「ウェブスターさんって多作な人なんだなー」くらいにしか思ってませんでしたけど、よく見れば著者はWebsterじゃないじゃん。それじゃ、出版社の名前かと思えば、「Merriam Webster」とか「Geddes and Grosset」とか全然別だし・・・

そこで、この不思議な状況を深堀りしたら、意外や意外、これが面白かったのですよ。そのためには、時計の針を250年前に戻さなければなりません。

辞書編纂者ノア・ウェブスター

時は1758年。コネチカット州の農家におぎゃあと生まれたのがノア・ウェブスター(Noah Webster)だった。彼はすくすくと育ち、16歳で今では名門のイェール大学に通い始めたんだけど、その時アメリカ独立戦争真っ最中ってんだから、当時の時代背景が分かるというもの。後年、自身を述懐して「disqualifies a man for business」と言うんだから、商才はなかったんだろうね。大学卒業後、学校の先生として働き始めるんだ。しかし、教育現場の低賃金・環境の劣悪さに嫌気がさし、再び勉強を始め、弁護士を目指すことになる。そこから色々あって、また先生やったり、弁護士の勉強を止めて鬱になったりするんだけど、1781年、なんとか弁護士試験に合格するんだ。でも、独立戦争が続く中、弁護士の仕事なんかどこにも無い状況。そこで職を文筆業にジョブチェンジし、著名なニューイングランド紙で記事を書き始める。イギリスから独立すべきという独立派の主張だったらしいね。そして、すったもんだまたあって、結局ニューヨークに流れ着き、そこで私立学校を設立するんだ。

そこから、彼は小学生向けに教科書を3冊執筆する。綴り字教本と文法書と読本。彼のこの綴字教本は当時相当有名になったみたいで、改訂を続け100年もの間売れ続け、その後の彼の生活を助けたようだ。そして、子どもたちに『ブルーバックト綴字教本(Blue-backed speller)』と呼ばれて親しまれたとのこと。表紙の色からそう呼ばれたんだってさ。

なお、日本の新書でも理系向けのブルーバックスがあるけど、あちらはガガーリンの「地球は青かった」から来てるので、これとはちょっと違いました。

閑話休題。そして、ウェブスターの興味は懸案の辞書に移るんだ。教育者として、そして綴り字教本のベストセラー執筆者として、アメリカ人のための辞書が是非とも必要と考えたらしい。というのも、当時アメリカでは地域ごとに綴りや発音がバラバラという頭の痛い問題があったし、独立したんだからイギリスのじゃなくアメリカ独自の辞書を使うべきという国家主義的な考えも背景にあったようだ。そこで、彼は辞書編纂を開始したんだ。ここで『3分クッキング』なら出来上がったものが横から出てくるんだろうけど、彼は実に26年もの年月を辞書製作に費やした。そして、ウェブスター御大が70歳になった時に『Noah Webster’s American Dictionary of the English Language(アメリカ英語辞典)』の第1版が完成し、出版と相成った。当時最大の7万語収録という英語辞書。そこに載っている単語の綴りを見れば、織田信長もびっくり、彼のアメリカ綴り統一という野望が見て取れるものだ。例えば「centre」は「center」、「colour」は「color」と言った具合。なんのことはない、英語の授業で綴りが複数あって学生を悩ませたイギリス英語とアメリカ英語の綴り違いは、ウェブスターのおっさんが発祥だった(笑) なお、彼は「舌」を意味する「tongue」を「tung」にしたかったらしいけど、それは民衆の支持を得なかったようだね。彼でもmother tongueは変えられなかったってことかな(笑) 他にも、当時のイギリスの辞書には載ってないアメリカ独自の単語、例えば「skunk(スカンク)」等1万2千にも及ぶ新しい語彙も取り込んだんだって。

そんなウェブスターの汗と涙と努力の結晶の辞書『アメリカ英語辞典』なんだけど、これが実は全く売れなかった。後日値下げしてなんとか売れ出したんだけど、それでも第2版を出版するのに彼の自宅を抵当に入れなくてはいけなかったという話だから、金には困っていたようだね。その意味では「disqualifies a man for business」という彼自身の評価は当たっていたらしい。そんな彼も、第2版の出版にこぎつけた数年後の1843年、世間から彼の辞書が全く認識されぬまま死の床につくこととなる。享年84歳。そして、時は移り変わる・・・。

ノア・ウェブスター死後

ここで気になるのは彼の死後の辞書の各種権利だけど、色々あって、結局当時のG & C Merriam Co.社が買い取ったとのこと。Wikipediaにも

Webster's Dictionary

Merriam-Webster is the corporate heir to Noah Webster’s original works

Upon Webster’s death in 1843, the unsold books and all rights to the copyright and name “Webster” were purchased by brothers George and Charles Merriam, who then hired Webster’s son-in-law Chauncey A. Goodrich, a professor at Yale College, to oversee revisions.

とある。つまり、今日「Merriam-Webster」とあるのがウェブスターの旦那の正統な後継者だ。

さて、ウェブスターの死後「Webster」の名は潰えたかに思えたが、実はそうではなかったことがこの話を更に面白くするんだ。彼の辞書編纂の元助手や義理の息子、はたまた彼が通ったイェール大学の教授なんかの手によって、彼のオリジナル英語辞書を改定したり、元にして新しい辞書を出していくこととなる。誰だって26年の歳月を費やし辞書を一から作りたくないものと見える(笑) そして、あろうことか、辞書に「Webster」の名前をそのまま付け続けたんだ。当の本人は地面の下6フィートの深さのところに眠っているにも関わらずに。

それが1847年の『アメリカ英語辞典新改訂版』だったり、1890年の『Webster’s International Dictionary(ウェブスター国際辞典)』なんだ。以下の当時の広告を見て欲しい。1896年のものだけど、しっかり「Webster’s」が付いているのが分かる。そして、Merriamが発行しているので、これは正統なものだね。

『ウェブスター国際辞典』の広告
『ウェブスター国際辞典』の広告(advertisement for G & C Merriam Co., from 'Bradley His Book' (Springfield, Massachusetts, USA))

ところで、ウェブスター辞典のWikipediaの日本語版⤴️がひどいことになっているのが今回調査している時に分かったので、後から参照する人は注意したほうが良いと思う。色々誤訳や問題があるんだけど、一番致命的なのが「海賊版」という項目。それに対応する英語版は「Other dictionaries with Webster’s name」なので、Wikipedia日本語版は正式にG & C Merriam Co.から出版されているにも関わらず、ウェブスターの名前を使ってる辞書を海賊版としてしまっている。例えば上記『ウェブスター国際辞典』なんかがそう(笑)

とは言っても、海賊版が全く無かったわけではない。英語版のWikipediaによると

Webster's Dictionary

The name Webster used by others

他人によって使用された「ウェブスター」の名前

Since the late 19th century, dictionaries bearing the name Webster’s have been published by companies other than Merriam-Webster. Some of these were unauthorized reprints of Noah Webster’s work; some were revisions of his work. One such revision was Webster’s Imperial Dictionary, based on John Ogilvie’s The Imperial Dictionary of the English Language, itself an expansion of Noah Webster’s American Dictionary.

19世紀後半から、「ウェブスター」の名を冠した辞書がMerriam-Webster以外の会社から発行されるようになった。それらのいくつかは正式に許可されていないノア・ウェブスターの辞書のコピーであったし、いくつかは彼の辞書の改訂版だった。そんな改訂版の一つが『Webster’s Imperial Dictionary』で『The Imperial Dictionary of the English Language』を元にした『ノア・ウェブスターのアメリカ英語辞典』の拡張版だった。

とあって、その頃には「ウェブスター」の名前が無許可で辞書に勝手に使われていた様子が分かる。つまり、ウェブスター氏は生前には成し遂げられなかったくらい有名になっていったんだね。

ただ、お金を出して権利を正式に引き継いだMerriamにとってはこれは頭の痛い問題だった。実際、それら不届き者を相手に自身の権利を主張し訴訟を起こしていくことになる。しかし、裁判は彼らの思惑と正反対の結果になってしまう。ウェブスターの作品はパブリック・ドメインに入ったと認定されてしまうんだ。つまり、誰でも自由に使えるってこと。それから、今日に至るってわけだ。

Webster's Dictionary

Since then, use of the name Webster has been rampant. Merriam-Webster goes to great pains to remind dictionary buyers that it alone is the heir to Noah Webster.

それ以来、ウェブスターの名前の使用がはびこっている。Merriam-Websterは辞書購買者にノア・ウェブスターの継承者はMerriam-Websterただ一人と知らせることに多大なる努力を費やしている。

明らかに社名を「G & C Merriam Co.」から「Merriam-Webster」にしたのだって、自分たちがWebsterの正統な継承者を主張したいがためだよね(笑) ただ、彼らの努力も虚しく、市場には「Webster」の名を冠した辞書が出回っているのが現状。そして、それは別段違法ではないんだ。

この事例を日本で例えるとどうなるだろうか? 多分「金田一の○○辞典」ってのがパブリック・ドメインに入って、それ以降みんな発行する辞書の名前に「金田一の」を付け出した感じかな?(笑) 考えてみると、結構紛らわしい気がするね・・・

以上が「Webster’s」が多くの英語の辞書の題名に付く壮大な歴史の概要でした。彼の死後、Websterの名はある種の権威となってしまったんだね。

ところで、現在売られている「Webster」を冠する辞書には元々のノア・ウェブスターの成分は全く入っていないんだとか。そりゃそうだよね、1800年前半の話だから、今から約200年前。その当時から言葉もその意味もすっかり様変わりしてしまっている。「Webster’s」と所有格が付けられていても、実際所有してるかはまた別の話ってこと。それでも「Webster」の名前を冠した辞書は、今後も変わらずに出版・改定されていくのでしょうね。私のように、それに疑問を持つ人々を作り続けながら。

それでは〜